青森市: 貴船神社

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概要・歴史・観光・見所

貴船神社(青森市)概要: 鷲尾山の中腹に鎮座する貴船神社の創建は大同2年(807)、坂上田村麻呂(征夷大将軍)により勧請されたのが始まりと伝えられています。

伝承によると文治5年(1189)、身の危険を察した源義経は密かに奥州平泉(岩手県平泉町)を脱出し蝦夷に向かったとされ、その途中に貴船神社に立ち寄り海上安全を祈願したと伝えられています(義経により創建されたとも)。

又、義経の愛妾である浄瑠璃姫が義経との再会を果たしたものの当地で重病となり、家臣の1人鷲尾三郎経春が看病にあたりましたがその甲斐無く姫は亡くなり、菩提を守り続けた経春も当地で骨を埋めた事から「鷲尾」の地名の由来になったとされます(山頂には浄瑠璃姫の墓碑があったとされ境内社である弁財天宮には浄瑠璃姫の御霊が祀られているとも)。

その後荒廃し小祠として祭られていましたが慶安2年(1649)、奥州街道野内宿の庄屋蝦名万助が中心となり再興され社殿が造営されました。 元禄9年(1696)には弘前藩(藩庁:弘前城)4代藩主津軽信政により風雨順調、五穀豊穣の祈願所として郡内四社(加茂大明神[青森市浪岡町五本松:加茂神社]、貴船大明神[青森市野内:貴船神社]、広瀬宮[旧木造町長浜村:廃社?]、龍田大明神[深浦町:龍田神社])が定められています。

その後、現在地である野内龍の口に遷座し社殿が造営されるなど篤く庇護された事で社運も隆盛し、歴代藩主の祈願所として毎年藩主の代拝が行われました。

天明7年(1787)には幕府巡見使随員の古川古松軒、天明8年(1788)には江戸時代後期の紀行家で民俗学の祖とも云われた菅江真澄が貴船神社を訪れており、由緒や境内の様子を記録しています。

本社と思われる貴船神社(京都府京都市左京区鞍馬)は水を司る神として雨乞いに御利益があるとして信仰されている事から当社でも、それに準じた信仰が行われ境内に建立されている天狗(猿田彦?)の石像は雨が降る前に濡れるとも云われています。江戸時代の紀行家である菅江真澄は「外ヶ浜つたひ」、江戸時代後期の旅行家、地理学者である古川古松軒は「東遊雑記」に記載されるなど広く知られた存在だったと思われます。祭神:高おかみ命。

貴船神社:写真

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