門住稲荷神社(三戸城大手門守護)概要: 門住稲荷神社の創建は不詳ですが三戸城の大手門を守護するため勧請されたのが始まりと伝えられています(三戸城の築城は天文8年:1539年に三戸南部家の居館である聖寿寺館の焼失後に築城されたと推定されている為、門住稲荷神社も前後して創建されたと思われます)。歴代城主である南部氏から崇敬され、寛永10年(1633)に南部重直が盛岡城(岩手県盛岡市)に移った後も三戸城には城代が配され、門住稲荷神社は城代によって守られ、貞亨年間(1684〜1687年)に三戸城が廃城になると、以後、三戸代官によって祀られています。明治維新後に盛岡藩が廃藩になると下在府小路町内の鎮守となり城山の稲荷として町民から信仰されるようになりました。現在も三戸城大手門付近に鎮座し社殿こそ小規模ですが多くの鳥居が奉納され信仰の深さを感じさせてくれます。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-門住稲荷神社 氏子総代
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